観劇ディスカッションツアーから帰ってきました!
お世話になりました。ありがとうございました。
それぞれの詳しい感想は、とりあえず主催さんへの報告書を出してから。
作品の感想とか収穫ではなく、
ディスツアーの全体の収穫は
■深く読む 事の大切さ
■言語化 の大切さ
を認識できた。忘れるのを防ぐのも兼ねて、書いてみる。
長くなってしまったけど。
<深く読む>
良くも悪くも
越智は自分の興味がないことには、とことん興味がない。
反対に、興味があることにはとことん突き詰めるタイプだと思う。
例えば分かりやすく言うと、演劇とかは やるからにはとことんやる。
けど、口紅とか美容液とかお洒落とか化粧とか、そういうものにはあまり興味がないので
必要最低限のものしかしない。むしろ無くてもいいくらいに思う。
・・・女としてそれはどうかとも思うが・・・(苦笑)
と、こんな感じで両極端なのだ。
で、それは演劇の作品にも同じで
「すげーっ!」と感じる作品はとことん突き詰める。
考えるし、真似るし、勉強する。その事について色々深くなる
けど、「イマイチ・・・」という作品には
もう考えるのを放棄するのだ。「イマイチ」という感想だけ持って帰って
どこがどうだったからイマイチだったのか とか
どこをどうしたら、この作品はイマイチではなくなったのか とか
脚本がこうだからイマイチなのか とか
それとも役者がそうだからイマイチなのか とか
ではイマイチ以外に学べるところは無かったのか とか
そういう 深く考える を放棄するのだ。
「イマイチだった」というだけで、他の側面に対しても全く興味がなくなる。
だって、イマイチについて考えるのが楽しくないし、考える気もないし
自分に何らかの得になるとも思っていなかったから。
でも、これが他の人の意見を聞く事で、
あーーーっ!だからこの作品はイマイチだったのか! とか
ここはイマイチだけど、あそこはクオリティ高かったよね! とか
ここをこうしたらイマイチじゃなくなったんじゃない? とか
そういう事が分かった。
一人で考えを放棄してしまう事より、そうやってイマイチはイマイチながら深く読むと
ものすごい自分にとって得るものがあるのだと、人とのディスカッションを通して分かった。
<言語化>
「説明をする能力」と「イメージを説明する能力」とは別なのだ。
≪自分の考えを言葉にして説明する≫
これは結構自分は大丈夫だと思っていた。
ええっと。。。"説明"だけはね。
越智は仕事柄人前で話すとか、説明しなきゃいけない場とか
そういう事が多いので、物事に対して説明する のは慣れている(と思う)
物怖じしないとか、どもらないとか、はきはき話すとかはね。
「打ち上げについて、場所と時間と目的と料金システムと説明する」とか
「ワークショップの進行と、効果について説明する」とか
そういう 形あるもの は出来る。
けど、これまた「イメージを説明する」のが出来ないのだと認識。
例えば、「乾いた感じ」というイメージの舞台にしたいと思っても、
それが具体的に説明出来ない。
「は?具体的にどういう事なの?」
と言われても
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・乾いた感じなんです。」
という説明しかできないのだ。
それは周りのスタッフさんに
そのイメージを組み取ってやってくれる人が多いからだと思う。
詳しく詳しく説明しなくても
「乾いた感じ にして欲しいんです。」
「はいはい、それはこういうことでしょ」
とすぐ分かってくれる人がいるからだ。
きちんと言語化しなくても、十分にやっていける環境に恵まれていたから。
でも、それを 他人 に伝えるのは難しい。
初対面の人に
「この芝居は乾いた感じの芝居なんです」
といったところで、
「なんだそりゃ。もっと具体的に詳しく説明してよ」
と言われるだろう。
それはお互いが 始めて であって、
裏まで読み取れる人間関係ではないから当たり前だ。
で、その「具体的に詳しく説明」が越智には出来ない。
感覚だけで話す。それはその感覚にあった言葉が見つからからだ。
【 似たような言葉 】 はあるけど、
【 ぴったりの言葉 】 はなくて、
その似たような言葉で説明すると間違ったイメージを与えるような恐怖があるから出来ない。
けど、【似たような言葉】で説明した方が、イメージだけの言葉より
相手にずっと伝わるのだと分かった。
例えば、
「えっと、セットはよれよれの白い布が一面にあって
あ、白で良いです。照明で色をつけるので。
舞台全体の照明はオレンジっぽくて、
でも綺麗なオレンジじゃなくて、くすんだ感じの・・
あ、あの壁みたいな色ですかね。
音はすごく遠くで聞こえるような。
すごく小さくて、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で。
風の音なんですけど、ザーッというよりは
はぁ〜っという、ため息みたいな感じの音。
風の音に聞こえなくても良いです。ため息みたいな音で。
舞台に人は誰もいなくて、最初は砂漠を連想させるような。
そういう乾いた感じなんです」
という風に説明すると、かなり 近い ものが出来る。
【 似たような言葉 】 を用いて説明しているので、
実際はイメージ通りのものにはならないかもだけど、
それはそこから修正した方がずっと楽で効率的なのだ。
という事を学んだ。
そして、「文章を書く能力」と「言葉にして発する能力」は全く別物だということとも学んだ。
ブログでこうして説明する文章は、修正が出来る。
考えながら書く事も出来るし、間違えたら直すことも出来る。
けど、言葉にすると、それは一発勝負だ。
ちゃんと順序立てて、どう話したら相手に一番伝わるか をしないといけない。
考えながら→話す が同時進行なのである。
それが越智にはまだ出来ない。
この解決方法はまだよく分からない。
多分、実践で「人と話す」事が一番なのだろうけど、
それの実践にもっていくまでの方法がまだ分からない。
で、プラスして・・・。
同時に、やっぱり"東京"という地域の器のでかさというか
麻薬的な魅力というか、そういうものも感じた。
地域の麻薬とか、広島でやることの麻薬とか、
そういうものが発見出来ない限り、なかなか抜け出せないと思った。
お世話になりました。ありがとうございました。
それぞれの詳しい感想は、とりあえず主催さんへの報告書を出してから。
作品の感想とか収穫ではなく、
ディスツアーの全体の収穫は
■深く読む 事の大切さ
■言語化 の大切さ
を認識できた。忘れるのを防ぐのも兼ねて、書いてみる。
長くなってしまったけど。
<深く読む>
良くも悪くも
越智は自分の興味がないことには、とことん興味がない。
反対に、興味があることにはとことん突き詰めるタイプだと思う。
例えば分かりやすく言うと、演劇とかは やるからにはとことんやる。
けど、口紅とか美容液とかお洒落とか化粧とか、そういうものにはあまり興味がないので
必要最低限のものしかしない。むしろ無くてもいいくらいに思う。
・・・女としてそれはどうかとも思うが・・・(苦笑)
と、こんな感じで両極端なのだ。
で、それは演劇の作品にも同じで
「すげーっ!」と感じる作品はとことん突き詰める。
考えるし、真似るし、勉強する。その事について色々深くなる
けど、「イマイチ・・・」という作品には
もう考えるのを放棄するのだ。「イマイチ」という感想だけ持って帰って
どこがどうだったからイマイチだったのか とか
どこをどうしたら、この作品はイマイチではなくなったのか とか
脚本がこうだからイマイチなのか とか
それとも役者がそうだからイマイチなのか とか
ではイマイチ以外に学べるところは無かったのか とか
そういう 深く考える を放棄するのだ。
「イマイチだった」というだけで、他の側面に対しても全く興味がなくなる。
だって、イマイチについて考えるのが楽しくないし、考える気もないし
自分に何らかの得になるとも思っていなかったから。
でも、これが他の人の意見を聞く事で、
あーーーっ!だからこの作品はイマイチだったのか! とか
ここはイマイチだけど、あそこはクオリティ高かったよね! とか
ここをこうしたらイマイチじゃなくなったんじゃない? とか
そういう事が分かった。
一人で考えを放棄してしまう事より、そうやってイマイチはイマイチながら深く読むと
ものすごい自分にとって得るものがあるのだと、人とのディスカッションを通して分かった。
<言語化>
「説明をする能力」と「イメージを説明する能力」とは別なのだ。
≪自分の考えを言葉にして説明する≫
これは結構自分は大丈夫だと思っていた。
ええっと。。。"説明"だけはね。
越智は仕事柄人前で話すとか、説明しなきゃいけない場とか
そういう事が多いので、物事に対して説明する のは慣れている(と思う)
物怖じしないとか、どもらないとか、はきはき話すとかはね。
「打ち上げについて、場所と時間と目的と料金システムと説明する」とか
「ワークショップの進行と、効果について説明する」とか
そういう 形あるもの は出来る。
けど、これまた「イメージを説明する」のが出来ないのだと認識。
例えば、「乾いた感じ」というイメージの舞台にしたいと思っても、
それが具体的に説明出来ない。
「は?具体的にどういう事なの?」
と言われても
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・乾いた感じなんです。」
という説明しかできないのだ。
それは周りのスタッフさんに
そのイメージを組み取ってやってくれる人が多いからだと思う。
詳しく詳しく説明しなくても
「乾いた感じ にして欲しいんです。」
「はいはい、それはこういうことでしょ」
とすぐ分かってくれる人がいるからだ。
きちんと言語化しなくても、十分にやっていける環境に恵まれていたから。
でも、それを 他人 に伝えるのは難しい。
初対面の人に
「この芝居は乾いた感じの芝居なんです」
といったところで、
「なんだそりゃ。もっと具体的に詳しく説明してよ」
と言われるだろう。
それはお互いが 始めて であって、
裏まで読み取れる人間関係ではないから当たり前だ。
で、その「具体的に詳しく説明」が越智には出来ない。
感覚だけで話す。それはその感覚にあった言葉が見つからからだ。
【 似たような言葉 】 はあるけど、
【 ぴったりの言葉 】 はなくて、
その似たような言葉で説明すると間違ったイメージを与えるような恐怖があるから出来ない。
けど、【似たような言葉】で説明した方が、イメージだけの言葉より
相手にずっと伝わるのだと分かった。
例えば、
「えっと、セットはよれよれの白い布が一面にあって
あ、白で良いです。照明で色をつけるので。
舞台全体の照明はオレンジっぽくて、
でも綺麗なオレンジじゃなくて、くすんだ感じの・・
あ、あの壁みたいな色ですかね。
音はすごく遠くで聞こえるような。
すごく小さくて、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で。
風の音なんですけど、ザーッというよりは
はぁ〜っという、ため息みたいな感じの音。
風の音に聞こえなくても良いです。ため息みたいな音で。
舞台に人は誰もいなくて、最初は砂漠を連想させるような。
そういう乾いた感じなんです」
という風に説明すると、かなり 近い ものが出来る。
【 似たような言葉 】 を用いて説明しているので、
実際はイメージ通りのものにはならないかもだけど、
それはそこから修正した方がずっと楽で効率的なのだ。
という事を学んだ。
そして、「文章を書く能力」と「言葉にして発する能力」は全く別物だということとも学んだ。
ブログでこうして説明する文章は、修正が出来る。
考えながら書く事も出来るし、間違えたら直すことも出来る。
けど、言葉にすると、それは一発勝負だ。
ちゃんと順序立てて、どう話したら相手に一番伝わるか をしないといけない。
考えながら→話す が同時進行なのである。
それが越智にはまだ出来ない。
この解決方法はまだよく分からない。
多分、実践で「人と話す」事が一番なのだろうけど、
それの実践にもっていくまでの方法がまだ分からない。
で、プラスして・・・。
同時に、やっぱり"東京"という地域の器のでかさというか
麻薬的な魅力というか、そういうものも感じた。
地域の麻薬とか、広島でやることの麻薬とか、
そういうものが発見出来ない限り、なかなか抜け出せないと思った。
